NTT データ(の子会社)を退職しました

本記事は退職者 その2 Advent Calendar 2018 の 19 日目の記事です。

18 日目は そうちゃん さんによる「 女児向けアニメを観て仕事を辞めた話(社会人5年目2度目の退職)」 でした。

20 日目は id:mitsuba3 さんによる 「明日退職します。おちこんだりもしたけれど、 私はげんきです。」です。

NTT データ数理システムを退職しました。はい。

正確には 12/31 付での退職ですが、最終出社も終えたので気持ち的にはすでに退職しています。

2012 年 4 月に入社してから 6 年 9 ヶ月、特に数理計画部には 6.5 年在籍していたのでそれなりに感慨深いです。

仕事何やってたんだろな??

と振り返ると自分でも疑問が残りますし、特に入社数年たったあたりからは会社に行って数学の勉強をしていた時間の方が長かった気がします。 部長やグループリーダー各位には本当に申し訳ないなぁ、と。

これだけ勤めていたので、それなりに面白いこともあったので、振り返ってみます。

会社の変化編

入社 1 ヶ月前

修士論文発表会も終わり、約 1 ヶ月インド旅行に行っていたある日、NTT データに買収された旨のメールが届く。

「あれ?ここは僕が入ろうと思った会社のままなのだろうか??」

という不安を感じるも、5 秒後には「考えてもしょうがない」となる。 しばらくインドにいた影響だろう。

新人研修

買収直後のごたごたもあり、マナー研修などといった社会人研修がなぜかなかった。ラッキーだ。

翌年からはデータ本社の研修センターに行って研修を行っているらしく、後輩は大変だなぁ。と思っていた。

が、

「あれはグループ会社の新入社員をわーっとあつめて、つまり男性が多い職場と女性が多い職場の人間がごっちゃになることで、出会いを提供するシステムなんだよ。」

というある人の意見をこの前聞いて思わず納得してしまった。(あくまでも彼の意見です

ぼくもぐるーぷがいしゃのおんなのことしりあいたかった。。。

数理計画部配属後

無事に希望通り数理計画部に配属される。希望を聞かれた覚えはないけど。。。(僕の代は概ね希望通りの配属先になっていたので何かしら手法を使っていたのではと疑っている

このときから数理計画部としての必須の研修が始まる。

部員としての共通知識で、会社固有でない一般的な内容としてはまずは

あたりか。

OR 学会、RAMP シンポジウムといった各種研究集会への参加も推奨されていたり、東京だと週末にも (当時でいえば) SOTA, WOO, いまでいえば OPTA などあり、最適化の勉強をするには大分いい環境だったかと。

困ったのは Python で、当時は書籍があまりなく本屋では Ruby( on Rails) の本が大量に並んでいる中に隠れるように「みんなの Python」がひっそり並んでいるような時期だったので、

「なぜ、Python?」という感じだった。

後に会長から、数理で開発に Python を使用し始めたのが 2007 年だったと聞き、もっと驚いた。

入社 1.5 年後

会社名と会社所在地が変わる。社名が

数理システム→NTTデータ数理システム

と prefix がつく。所在地も

新宿 2 丁目→信濃町

へ。

「勤務地は新宿 2 丁目です。」

という鉄板ネタが使用できなくなる。

業務編

親会社のお手伝い

python で書かれたある algorithm のコードが遅いから、それを C++ で書き直すかも。

という親会社の案件に入ることに。

実際には僕が入る前に jit compile するようにしたら爆速になったとのことで、高速化とは関係ない単なる algorithm の prototype 開発案件になった。

そういえば初めての豊洲常駐。

twitter で観測される、低 spec PC での開発という貴重な体験をする。(一番驚いたことは他にもあるのだが、言っていいのかわからないので割愛。

なおこのときに超兄貴という名前が定着。

何をしても、

「さすが超兄貴!ガチですね!!」

状態。

あだ名もいろいろ変わったなぁ。。。

受託編

利益の多くを担っている受託開発ですが、数理計画部での受託開発は大雑把にわけて以下の 3 通りかなと

  1. 数理計画問題として定式化し solver に (iterative に) 解かせる
  2. フルスクラッチで algorithm の開発
  3. 1 と 2 の合わせ技

1 の方法のどこに面白さを感じるかというと、自分らでもっている solver がどういう風に実行可能解を見つけてくるかとか、どういう制約条件を加えるとよい cut を加えてくれるかなんかの挙動を見るのが面白いようだった。完璧に内部開発者向けの面白さ。

2 は algorithm lover なら好きなんだろうな。という感じ。

楽しいか楽しくないかでいえば、、、僕はべつに楽しくなかった。

solver 開発編

あまり関わらなったので、個人の経験については省略。

ただ開発にコミットしていた人たちは、世界の有名ソルバー(GUROBI, CPLEX, Xpress) に追いつこうと

  • MIPLIB がどのくらい解けるようになった
  • この問題がめっちゃ速く解けるようになった

などと歓喜している様子を散見したので、多分面白さを感じていたのだろう。

日常編

セミナー

2015 年後期に信濃町煉瓦館 4F もテナント契約したことにより、外部の人を呼んでのセミナーが開きやすくなった。

最初は平日だけだったが、後に休日も使用するようになり、毎週のように数学のセミナーを開いていた。

僕主催と 数学カフェ さん主催の会との両方があって、(純粋)数学と数年間離れていたリハビリに非常になった。

定期的にセミナーを開催できる場所があるのは本当にありがたい。

日常会話編

そもそも会社に純粋数学・理論物理出身が多いということもあって業務時間中に数学の話をすることができたのが非常におもしろかった。

例えば、東大 K 野先生の研究室の先輩でもあった F 氏からは、業務で青本先生の仕事を使った経験やら、ICMS 2016Voevodsky の話を聞いた、といった話を聞いた。いや、Voevodsky の話はよくわからなかったけど。

Lasserre の仕事を聞いたのもこの先輩だったか。

他にも面白い人はいろいろいて、偏微分方程式数値計算、表現論、K-theory・K-homology etc なんかの話を気軽に聞くことができたのはよい職場だったのだと思う。

こういう日常があるのはめぐまれていた。

そういえば数年前から問題になっているが、数論出身者がどうにも少ないのは不健康だと思う。

今後

まったく不満がなかったかというと嘘になるが、上で述べたように僕は基本的に数理社に対しては悪い印象をあまり持っていないわけで。 ではなぜこのタイミングで退職という道を選択したのかというと、数理計画よりトポロジーが好きだった、ということに終始するかと。

Koizumi 氏による

togetter.com

という有名な言葉がありますが、世界を応用トポロジーで照らす、その準備をするために、この度退職という選択をしました。

愉快な数理計画部員の皆様からの「怪文書を書いてほしい」という期待には応えられないことは申し訳ないのですが、最後に、

  • T 部長
  • N グループリーダー
  • T 元グループリーダー
  • すべての数理計画部員

へ感謝を述べて文章を締めたいと思います。